2011年1月31日 国境通関ロクソール~ビルガンジ
早朝5時にホテルをチェックアウトし、朝靄のなかひたすら目的地をめざす。
ブッダの足跡も、ネパールのブッダ誕生の地ルンビ二を残すのみだ。
しかし、今日はトラックの通関が気になる。
カルネ(ジュネーブ協定による税金免除)があるにもかかわらずインド・コルカタでの通関に2週間かかった経緯もあるので、カルネが適応されないネパールで一体どれだけ時間がかかるかまったく予想できないのである。
インドでは、事前にエージェントと協議を重ね準備しての結果である。
だんだんハイウェイの交通量が増えてきた。昼ごろにはインドの国境ロクソールの手前で渋滞にすっぽりはまり、どんどん国境がせまってきた。
インド人ガイドはいつものノープロブレムの合言葉でどんどん進んでいく。
もし通関できなければネパール国境ビルガンジで我々の到着を待っているネパール人スタッフと合流できないのだ。
そうこう思案している間にトラックは国境前に、トラックを停車して我々日本人スタッフの2名はイミグレーションに向かいカルネにスタンプをもらいインドを無事通関成功。そのままトラックに乗り込み国境の橋を渡りネパール国境前でまたトラックを停車し、こんどはネパールのイミグレーションでスタンプをもらう。一応トラックの荷台を確認したものの、あっけなくゲートをくぐりネパールを通関した。国境には見慣れたネパール人スタッフが笑顔で再会を喜ぶ間もなく、ブッダ誕生の地ルンビ二を目指し、先を急ぎトラックと向かえの乗用車は次の町まで走り出した。
インド人ドライバーとガイドは、我々の撮影車に乗りかえ、インド・コルカタの帰路についた。
(お疲れさま!道中の安全をいのる、こんどはトラックを日本にむけて送り出すときに、また会おう!)
(ウワイ)
2011年1月31日ビルガンジ
この日はついにインドとおさらばしてネパールへ入国する日だ。
早朝5:00にホテルをチェックアウト、出発した。
今日は心配事がある。
通関だ。コルカタを出るとき、かなり時間がかかった通関作業。
カルネを取得しているので、通常はトラックに関しては無税で簡単に入国できるのだが、ネパールはカルネが利用できる国として参加していない、いわゆるジュネーブ条約を結んでいないのだ。
しかも法律で5年以上前の車両は入国できないことになっている。(トラックは10年選手だっ!)もし、入国を拒否られたり、高い税金をふっかけられたらかなりめんどくさい。。。
そうなった時は通関をエージェントに参戦してもらう手筈になっている。
トラックの自賠責保険証明書もビルガンジーのオフィスに取りにいかなければならない。
これらのヘルプとしてネパールから応援が来ることになっている。
エコパーティーを手伝ってくれているラジュさんとアマロさんだ。だって日本人スタッフはネパール語はもちろん英語ですらままならない。
あ、あと昨日ボスが飲んだペットボトルウォーターが悪質だったみたいで、体調が悪そうだ。お腹を壊すボスを見るのは初めてっす。
あれこれ考えていたら7時間経ち、目の前に国境が現れた。とても凄まじい渋滞!
ネパールからの応援隊はどこだろう?電話もつながらない。
渋滞はしているが、ジリジリと確実に前に進んでしまっている。
脇道はない。このままいっちゃおうか?って思えるくらい後ろから押される。ヘタに国境を越えようものなら、後々厄介なのでちゃんと作業はしたい。
いた!ラジュさんだ!遅いよぉ!感動の再会をする暇もなくすかさず通関の作業に入る。まずはトラックを国境の手前のスペースに止め、日本人2人はイミグレーションに行く。その後、カルネを持って通関へ。ラジュさんが説明を始めて、どんなこと言われるかドキドキ。
カブ 「ラジュさんどんな感じっすか?」
ラジュ「うん、スタンプ押してくれるみたい。彼らは忙しいからさっさとやってくれるよ」
カブ 「やたっ!インドのいいかげんさ最高!ww」
カブ 「そういえば自賠責保険証明ってどうなりました?」
ラジュ「さっきオフィスに行ったんだけど、届いて無かったよ。」
カブ 「・・・どこにいったんだろうか。ホントに保険は入ってるのかな・・。」
いくらか不安は残るが、エージェントに助けを求めることなく無事にインド出国ができた。
しかとトラックが国境越えする様子をカメラに収めて、我々はネパール通関にてスタンプをもらい無事ににネパールに入国した。
ここでインドから連れ添ったガイドのサフィート、撮影車のドライバーはUターンしてコルカタへ帰って行った。
サンキューグッバイ、サフィート、ガイドのレベル上げとけよ!またね。
我々もアマロさんが運転する車とトラックに乗り、インドを後にとなり町のホテルへ向かった。
トラック、ようこそネパールへ!
(カブ)